東京銀座にて研修中 突然それは起きました
現在は、実店舗として「ブランドアンティーク弁天堂」を運営しておりますが、今をさかのぼること9年前
当時は、お店の名前も違っていました。某有名FCの買取店をオープンしたのが始まりです。
非常に忘れることのできないエピソードがありましたので、綴っていきます。
当時お店を創業したのが2011年の3月15日。
その4日前の3月11日に東京銀座で、お買取り商材についての研修をうけておりました。
運命の2時46分
午後2時を過ぎた頃です。銀座の研修ビルで私と、研修講師の二人でちょうど研修をしていた時にそれは起こりました。
東北大震災です。
机の物は落ち、テーブルの下に隠れた私と講師は揺れが収まるまで身動きもとれず、「オープン前に俺死んじゃう?」と自分自身死を予感した瞬間でした。
もう、研修どころではありません。
ちょうど店舗設営を静岡で進めていたこともありますし、研修を中断し、静岡へ戻ることとなりました。
帰宅難民 東京民族大移動
外にでると、大パニックです。電車は止まり、車等も通行がままならない様子で
結局電車は止まり帰宅するにできない帰宅難民となったのです。
その日はなんとか郊外までタクシーで移動し、ネットカフェで一晩過ごすことに。

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御殿場へ戻れたのは翌日の夕方でした。
徹夜でのオープン準備
おかげで15日のオープン前に連日徹夜での準備作業となってしまいました。

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当時、作業用デスクとパソコン1台。書棚と査定用テーブル、それとパーティションのみ。 本当にシンプルな間取りからのスタートでした。
夜中の準備ですが、床下に暖房があるわけでもないし、当時まだエアコンもありません。
御殿場の夜は、めちゃ寒く、ダンボールを体にまいて横になって過ごした記憶もあります。
決して忘れることのできない。歴史的な大災害
あれから早いものでもうすぐ10年になろうとしています。
今だに忘れられない思い出となっています。
下手をしたら自分も事故に巻き込まれて今お店をやっていなかったかもしれないわけですから。
実は上の記事、当時御殿場市内で発刊されていた情報誌に掲載した内容です(現在は廃刊になっています)
でも、今のお店のルーツ、思い出にもつながるエピソードですので、記事の内容を保管しておりましたので、こうしてWeb上ですが公開することができました。
2011年3月15日 オープン初日
記念すべき買取店、初日です。
寝不足、準備不足は否めませんでしたが、なんとか形としてオープンすることができました。
日本中はまだ、震災による被害が残ったままでありますが、失ったものを取り戻すことはできませんが、リサイクル店として経済を回すお手伝いはできるお店です。
初日1日目は本部からも応援スタッフに来ていただき、お店のオペレーション等に慣れる為の作業もあいまって、ドタバタしていたと思います。
記念すべき買取の一人目は古銭でした
一番最初に来られたお客様の商品は、こちらの古銭。古いお金でした。
今の現行で使えるお金ではなく、明治、大正以前に流通したお金です。
板垣退助百円札や、伊藤博文千円札、聖徳太子5千円・一万円札等は現在でも普通に使うことができるお金です。
残念ながらお金のコンディションはそれほどいい状態とはいえませんでしたが、記念すべき一人目の買取品でした
初日ですが、来店客数はそれほどでもありませんでしたが、そこそこの買取はありました。
全てはここから始まったというわけです